■ 言語のリズム


詳しくは「日本人はクラシック音楽をどう把握するか」か"日本人の耳をひららく”をご覧下さい。概要は下段を…ご覧頂くとして、ここでは概略「何故日本人が西洋の芸術やスポーツをするとこうも違ってきてしまうのかという事を解説いたします。

カタカナとは、一音一音符

White Chrisutmas
White Chrisutmas

一音一音符の概念 〈カタカナ音楽〉

 

日本人が英語を発音する場合、しばしば「カタカナ英語」と比喩します。このカタカナ英語とは何を現しているのでしょうか。

これは私たちが歌う全ての音楽に共通した事で必ず一音を一音符に当てはめます。

全世界を調べたわけではありませんが、多分厳格に一音一音符を当てはめるのは日本と韓国くらいではないだろうかと考えますが、(韓国とは言語のルーツは違う)ともかくここでは日本と主にアメリカ、ヨーロッパと比較いたします。

この図「ホワイト・クリスマス」ですが、歌曲集を見るとC-1&C-2のように書かれていると思います。

  • 英語では単語を一音符に当てはめていません。
  • 一方日本語では一音が一音符に割り振られています。
  • 英語をカタカナ読みにして音符を当てはめてみるとC-3のようになります。
  • 英語の発音をあえて音符で書くならC-4のようになります。
  • 英語の発音を分解して音符に当てはめるならC-5のようになります。

発音のタイミング図
発音のタイミング図

無声音・子音の概念

 

日本語には無声音の概念は殆どありません。また子音もヨーロッパの言語に比べるととても小さく、殆どが母音主体で成り立っていると言って良いかも知れません。

この図はそれを表しています。

 

America=これをカタカナでならアメリカ(4分割4音) ビュウティフル(5) クリスマス(5)。いずれも4音か5音になります。二つに分けるならアメ・リカ(2) ビュウ・ティフ・ル(3)クリ・スマ・ス(3)、となり。

手拍子を打つと数字のようになります。

では手拍子を一つ打ちながら発音してみましょう。そうするとたいへん戸惑います。

語頭に手拍子を入れようとするとカタカナ読みしなければ手拍子は入りません。

 

少し英語っぽく発音しながら手拍子を叩くとAmeica、Beautiful、Christmas この赤字の所に入ると思います。

そうです、そうすると語頭の緑の文字はどこに行ったのでしょうか。これが子音や無声音の概念です。図では音符の下に赤字の文字が来ていることを示しています。

 

一方日本語では子音が強い言葉で出ている童謡「からすの子」でもリズムの核(打点)付近から発音することを示しています。


数え方の拍と実際の拍
数え方の拍と実際の拍

数え方の拍と実際の拍

 

音符を数える時にしばしば指を折って数えることがあります。また一拍はどこからどこまでというような論議があります。「この手を打った瞬間からこ次の手拍子の手前」「手拍子を打ったら次の拍になってしまう。」

こんな馬鹿げた論議を未だに耳にします。プロの指揮者までもがこのような概念で指揮を振っている人もみかけますので、呆れてしまいます。

ゆっくり数えてみます。「ーーち、ーーい、ーーん」すると図の上の「実際の拍のようなタイミングになるはずです。そうです赤字がリズム核より前に出るのです。

拍を数える時は拍間を数え、実際のリズムは前に出るのです。ではどれくらい前に出るのでしょうか。それは適時。発音や表現、テンポ、芸術性など、表現方法によって様々に変えているのです。つまり表現によって拍の時間的な概念はバラバラなのですが、西洋音楽ではリズムの核としては厳格なのです。


リズムの周期運動
リズムの周期運動

リズムの周期性

 

子音の概念、無声音の概念、そしてもう一つ重要な事があります。

日本語のリズムは?というと4拍子論2拍子論、いろいろあります。しかし、これらはリズムや拍子とは全く異なった要素を元に研究されたもので、音楽で言うリズムということには全く意味を成しません。

なぜならば、リズムとはそもそも時間なのです。

  • 時間的に厳格な律動をリズムと言い、
  • それらの規則正しいまとまりを拍と呼ぶのです。
  • さらに拍のまとまりをフレーズと言い、何れも時間的には厳格なものなのです。

 

それでは日本語のリズムはどうでしょう。俳句、和歌、私たちの喋っている言葉、いずれも時間的には極めて曖昧です。

英語はジャズに乗せて喋れます。日本語をリズムに乗せて喋ろうとすると、昔懐かしい、夜店の人寄せや、ガマの油売りなどの口上になります。リズムに乗せると究極が「南京玉すだれ」や、トニータニーの「あなたのお名前なんてーの」のようになります。

「古池や、蛙飛び込む水の音」「ふるいけやかやずとびこむみずのおと」を2つ、あるいは4つまとまりで手拍子を叩いてみてください。早いところ、遅い所が出てしまいます。つまり「かわず」の所は他の拍とまったく違ってここだけが早くなってしまいます。(カーナビの案内に違和感を覚えた事があるかも知れません。)

私たちの日本語は早くなったり遅くなったりしながら何の疑問もなく普通に喋っています。これは西洋の厳格なリズムとは全く相容れないリズム感覚だと言ってよいでしょう。

 

私たちは西洋の芸術を繊細微妙だと捉えていますが、繊細微妙なのは実は日本の文化なのです。それを私たちの耳で繊細だと邦訳して捉えているのです。また私たちの感性がそうさせているのです。

 

西洋の表現を私たちの感性で捉え、こう表現していると大いなる誤解をしているのです。

音楽で言うなら、日本人の感覚とすれば、

  • テンポ(リズム)を揺らすこと、
  • 一音を当てはめる事(音を大切に…。果てが一音入魂)
  • 音程を揺らせたくなる。
  • 音を出した後に音を押すようにする
  • こっそりと出る
  • 静かに終わる

 

反対に非音楽的だと思う事は

  • リズムが厳格(延びたり縮んだりしない)
  • 突然大きな音を出すこと。
  • 乱暴に音を出すこと
  • 出だしをハッキリさせる事
  • 語尾をぶっきらぼうに切る事、等々

 

これら西洋の芸術に対して日本人の感性を潜在的に繊細微妙と、当てはめてしまう所に大きな問題がありますが、それは私たちが長年培った日本独特の言葉のリズムにあり、感性なのです。

 

ヨーロッパの言語はどちらかというと、動物的、本能的な言語と言って良いかも知れません。

赤ちゃんが覚えたての言葉(日本語)を喋ると、語順が英語のようになります。慌てて母親が直しますが、自分が要求したい事が最初の単語としてくるのは当然でしょう。

 

この聴覚システムは日本人として獲得したそれらのリズム感覚を、初期化する事にあります。これを努力で補えるかというと10年〜20年かかっても無理なのです。

聴覚トレーニングであれば一過性なら本の5分、定着させるのに20時間で半永久的な本来持っている感覚を呼び起こせるのです。

 

走る、歩く、踊る、全て日本語のタイミングで行っていることを考えれば、音楽、語学以外でも活用できる事をお分かり頂けたでしょうか。


音の分解能
音の分解能

人間の聴覚の特徴と音の分解能。

 

静止している物体は殆ど見えないという動物がいたと思います。もともと動物は生きるために目も耳も動くものに対して敏感に反応するようにできているのではないかと思われます。ある意味では人間の目も耳もそのような特性があります。

 例えば部屋の空調の音が普段は聞こえない。また道路を走る車の音や雑踏の音も聞こえない。連続して鳴っているものに対しては人間は無頓着なのです。そこに違う種類の音が入って来ると、それを認識できるのです。

さらに耳を塞ぎたくなるようなお店の音楽が気にならないなど、人間の耳はとても都合よく出来ています。

 

音楽で使う耳は音の種類を聞き分け、先のパターン予め想像(先回りして)聴き取ります。例えば英語を聴き取ろうとするとき、そのレベルにもよりますが、英語の初心者にとってはとても疲れるものです。しかし英語圏の人はそのような事はありません。それは私たち日本人の場合、日本語の会話なら全く疲れる事がないのは、お分かりでしょう。

単語の細部まで聴き取ろう、とその場だけの音を聞き取る事に苦労するからで、会話の行く末など予測することも不可能なため、頭がパニックを起こすのです。

よく英会話や英語の聴き取りを宣伝するときに脳のポトグラフを使って、「言語脳がこのように活発に動いています」と、グラフを掲載して、如何にも効果があるように謳っている宣伝がよくあります。それは全く逆で言語脳がパニックを起こしている証拠で、逆のパターンのはずなのです。何故かというと、私たち日本人が日本語を喋る時にはそのような事は起こさないはずなのです。

熟練工が素人から見ると難しい技で技術をこなす。素人が同じ事をやればその難しさにパニックを起こすでしょう。熟練工は難しい技も普段の事のように難なくこなす。だから熟練工なのです。

もう一つ例えてみれば、数十メートルのビル工事の幅10センチの鉄骨の上を地上と同じに鳶(とび)は歩くといいます。もし私たちがそれを行うとしたら脳はフル活動、胃に穴を開けてしまうかもしれません。しかし鳶は不通の事として行うから特殊技能者なのです。それが東京スカイツリーの高さだったらどうなるでしょうか。あれを組み立てているのも鳶の仕事です。

 

語学においてもまず普通の事としてできるように習熟する必要があるでしょう。ただその前に私たちが喋っている日本語は、世界の中でも親戚関係のない非常に特殊な言語なのです。英語に限らず他言語に、最初に直面するのが聴き取りという事になります。

その聴き取りで最初の語学嫌いを起こしてしまうのです。

会話の速度

〈音の分解能〉

 

音は時間と共に消えて行きます。

例えば「わたしは」と言った時、「わ」と一つに捉えようとします。しかし「WA」のように子音と母音から音はなっています。これをさらに分解すると「W」の子音の発音のしかた。母音の「A」の発音のしかたによって様々な感情を聴き取ることができます。「WやA」の発音も分解して聴き取っているということになります。

この発音の種類が聴き取れない感性の人だと、いわゆる「K、Y」と言われる所の「空気を読めない人」ということになります。鋭い人においては敏感にこの言い回し(もちろん態度も含め)を判断しているわけです。

音楽においても細かな音符一つ一つの流れから判断し、その流れの中の一音をさらに分解して聴いていることになります。

音楽だとメトロノーム四分音符120とするとこの中に8個の音符は普通にでてきます。一秒間に8個、一音は0.125秒です。16のこともありますが、それは0.0625秒です。この音を一つとして捉えると音楽はできません。どのような音で出ているかを音楽家は判断しています。するとその音は〈立ち上がり、肉部、音尾〉と少なくとも3つに分解できていなければなりません。勿論それらは職人的な勘でやっており、意識はしていないでしょう。ともかくその0.0625秒の三分の一、すなわち0.0208秒という細かさの音を判断しなければならない、と言うことになりますが、このような事は誰でもできる訳ではありませんが、これは勿論言葉の派生から人間の聴覚は成り立っているのです。

  • 野球などの球技では動体視力と言われますが、音楽では同じように瞬時に消えてしまう音の流れを如何に分析的に聴く事ができるかと言うことが重要です。これを《流音聴力》と名付けています。

ここで問題なのが〈固定した観念と〉すなわち想像力や予想というやっかいな現象です。

発音しないのに先回りしてこうやっているはずだと脳の中でYESの判断を出してしまうのです。例えば喧嘩や感情がもつれた時の会話は相手の言ってもいない事を「こう言ったでしょう」と悪く悪くとらえ、反対に恋人同士の場合は好意的にとろう好意的にとろうとします。つまり人間は出た音を正確に捉えていないのです。

この想像力からくる誤解や習慣を無くしたり、冷静に判断する感性を育てる必要があります。McDonaldマクドナルドではなく、出たままの発音を捉える必要があるのです。