■ 自然音日記

      ★ 【裏磐梯、友人のペンションへ】 会報11号 2009年夏号

磐梯山の火口、中央右斜面が崩落地
磐梯山の火口、中央右斜面が崩落地

【裏磐梯友人のペンションに】(前号からの続き)    

2009年 夏号

 

奄美大島のへんぴな海岸を歩いていた。奄美大島はPHSはほんの一部しか入らないのにこの海岸でPHSが珍しく鳴った。出てみると裏磐梯の友人、(ペンション「ブナ屋」のオーナー)木村氏からだった。

「もうオオジシギが来て凄いよ」と…。このオオジシギは鳩ぐらいの大きさで、平原や湿地帯を好む鳥です。檜原湖の湿地に多く居るが、地元の人でも知らない人が多い。なぜなら夕焼けも隠れ、懐中電灯が必要なくらい暗くなったときから活動を開始し、30分くらい飛び回ります。朝も夜明け前の暗い頃から日が昇る手前の30分くらいまで活動します。

 ギャー、ギョーと鳴きながら飛び立ち、ギョ、ギョ、ギョ、ギョ、と半径200メートルくらいの高い空中を凄いスピードで旋回し、再びギョー、ギャー、と独特の声で鳴きながら、シュワシュワシュワシュワ、凄まじい羽音をたてながら、急降下を繰り返します。ウグイスなどがさえずるのと同じ、テリトリーを守る行動だと思いますが、なんと変わった習性を持っている鳥もいるものです。電話はその鳥の情報だった。

去年の春に始めてこのオオジシギの情報を得て、合計6日間費やしたにも関わらず、キャンプのざわめき、家族連れ、「パパー缶蹴りしよう」「お母さんカレーうまくできてるかな〜」「ガラガラガラ〜〜」

空中では見事なオオジシギの舞だが、録音には全部入ってしまっている。

録音を終えてペンションに帰り、オーナー、友人に聴かせてみると「おお凄い…」「・・・」。「何〜!カレーなんか焦げてるよ。バカヤロ〜」と録音を聞きながら、罵声を上げながら酒盛りが始まる。

朝、空中の舞が始まったと思ったら近くの国民宿舎の窓から女子高生が顔を出し「おはよ〜、おはよ〜」の連呼。時期を変えて再び訪れたが、今度は鳥の時期には少し遅くあまり飛んでくれない。ホテルからは空調のモーター音、遠くの国道のトラック音に邪魔されて、また録音に失敗。さんざんな目に遭った。録音時期が若干遅かったのだ。

 

今度こそはと、奄美大島から帰って二週間ほど急いで仕事をこなして裏磐梯へ。

5月半ばとはいえ、雪が消えて木の芽が少し色づいているくらいだ。早朝は震えるくらい寒い。手が凍え録音機をセットするのが辛い。初夏の奄美から真冬へ逆戻りは寒さが身にこたえる。

近くの国道と点在するホテルやペンションの空調のノイズは避けようがないが、鳥のテリトリーが重なる地点が見つかり、頭上に20回30回40回と飛来、見事な舞いの音が録れた。

このオオジシギ乱舞は「早春の裏磐梯」と題してCD化した

その後6月にも野鳥の本格的な時期に再び訪れ、多くの野鳥の録音もできた。中でも8,000〜9,000ヘルツで鳴くヤブサメのさえずり(鳥では一番高い声であろう。鈴虫は3,000ヘルツ)も録音できた。このヤブサメは藪の中でチッチと小さな声で鳴くが、まず姿を見ることはできない。小鳥の録音も終わった夜、木村氏と恒例の自家製、日本一の酒で酒盛り。

ヤブサメのさえずりの録音は「ヤブサメのさえずり」と題してCD化した。

      ★ 【奄美大島へ録音旅行】 会報10号 2008年冬号

 

 

 

 

【奄美大島へ録音旅行】  

会報10号 2008年、年末号

 

 

前回9号の会報を書いた直後の4月中旬に奄美大島に録音に行きました。この旅行の最大の目標は、貝が波に洗われる音、珊瑚のかけらが海に落ちていく音の録音です。地元の人もほとんど行かない静かな海岸です。

そんな海岸を見つけながら過去4回、強風だったり、雨だったり、何故かあったはずの珊瑚や貝が突然海岸から消えていたり…。また絶好の天気に恵まれながら、はるか沖に走る大型貨物船のエンジン音に邪魔されて悔し涙を飲まされ続けた所です。

今回ばかりは欲張らず腰を据えて録音しようと、約1週間の日程を組んで出かけました。

民宿で泡盛を飲みながら食事をして、朝6時の満潮の録音を目指して準備をしていた所、背中が痛くなり、お腹がゴロゴロしてくる、ついにトイレとの往復になってしまった。なんとか落ち着いたのが夜明け頃。胃潰瘍かと疑ったが潰瘍の薬を飲んでもまったく効き目がない。明け方、決心して体調不良のまま録音に出かけることにました。

海岸までの集落を走っているときに「不調になったら」と心配しましたが、集落はできるだけ早く抜ける事を頭において…。

 

どういう訳か食べることができたのは酸の強いキンカンとタンカンなどのミカン類のみ、そんな状態で朝、晩と2台の録音機をフル稼働して同じ海岸の往復を重ね、合計30時間以上の録音を続けました。

4日目、時間があればと考えていた次の目的地に向かって民宿をあとにし、車を走らせ始めた所、バックの忘れ物に気づき民宿に…。

再出発したら今度はパソコンの忘れ物…。

再々出発したら録音機の部品の忘れ物。

大勢に笑われながら再再再出発。

1時間走って信号停車していた所。コトンと車に振動が…。バックミラーで後ろを見ると、若い女性がバックミラー全面に写って手を合わせていた。追突だった。

「今日はなんて日だ」と、始めての追突事故の経験にも怒る気もしない。「すみません、すみません。体は大丈夫ですか」と言いながら運転していた若い女性は、やけに土地勘があり、「書類を見せてください」と、その書類に見事としか言いようがない素早い書き込み、保険屋、警察等の手続きが早いこと…。

不思議に思って「地元の方ですか?」と聞いた所、さらに申し訳なさそうに、「隣のレンタカー屋なんです」と。何と私が借りた隣のレンタカー屋のお姉さん。もう笑うしかなく。警察官は大笑いしている被害者の私の姿を見て、不思議そうに…。

気を取りなおして出発したものの、そのおかげでフェリーの時間に間に合わず、しかたなく西側の海岸の方が民宿があるだろうと走り始めたが、一向にそれらしきものがない。とうとう2時間走ってようやく見つけた民宿に…。どうせ腹の調子が悪いのだからと素泊まりを頼み込んだ。

まだ明るさは残っているので海岸を散歩してみると、数年前に「珊瑚が海岸に一面」、とパンフレットには載っていたのだが、まったく見あたらずガッカリさせられたその海岸だった。ところが海岸を歩いてみると道路側から死角になっている海岸の端に珊瑚が山のように積もっていたではないか!

「満潮はこれからだ」、と急いで録音機をセット。思わぬ良い録音が録れた。

 

翌朝、録音が終わって帰ってみると、部屋に書き置きとウドンが用意してあった。「今日は出かけますので朝だけ用意しました」と…。感激と共に腹がグーと鳴る。「食べられるかもー」と、5日ぶりの食事。冷めたウドンだったが、美味しかったことは言うまでもありません。

合計一週間の録音旅行だったが、今回もハプニングの連続。でも沢山の録音のおみやげに満足して帰途につきました。そう言えばぜんぜん体重が減ってなかったのはどういう訳??!。      〜〜〜次号に続く。


         ★ 快適なフェリーの旅   会報9号 2008年3月号

2007年は出張の当たり年、四国の高知県に始まり、関西、北陸、東北へと何回も通い、11月には七田チャイルドアカデミーの北海道教室の勉強会で〈ミラクルサウンドBOX'〉の説明をして回りました。車の走行距離が1年間で、3万キロを超えてしまいました。

一度に35人が体験できるよう、ヘッドフォンその他の体験セットを持ってお声が掛かれば、東西南北、車で馳せ参じるのが普通になっています。

いつぞやは広島の講演を終えて、博多へ即移動。翌日広島で再講演後、そのまま横浜に直帰。ある時、新潟、上越市、〜市を回っている時、「外国からのお客様で時間が半日つぶせないのでどうしても米子に来てくれないか」と突然の電話。何とか調整できて引き受けました。車ならそうかからないだろうと踏んで、講演を午後2時頃終えて、その足で鳥取県の米子へ移動…ところがカーナビに入力してビックリ、高速道路14時間の距離でした。ホテルには「スミマセン1時の到着です。すみません2時くらいになります。3時頃の到着です・・・・」もちろん朝のです。スピード違反でつかまるしさんざんな思い。

 

昨年の高知の旅は「神戸から橋を渡って…」と軽く考えていたのが間違いのもと、走っても走ってもなかなか到着しないことを「体感」しましたが、14時間の距離の移動も半端じゃない、とまたまた自覚。

 

そこで、陸路から海路へと発想を転換し、フェリーでの旅を実行してみました。東京から徳島まで23時間の船旅です。18時に東京の晴海を出航。1時間ほどでようやくベイブリッジらしきものが…。ベイブリッジに別れを告げ、東京湾から外洋に出る頃は22時を回っていたでしょうか。

しかし依然速度を上げている感じがない。いつになったら速度を上げるのだろうと…。

車と共に乗船する人は50人ほどしかいない。しかしフェリーの貨物は満杯です。フェリーの貨物の90%以上は大型トラックの牽引車両の荷物台(貨車部)だけでした。こんな使い方をしているのだと感心しきり。結構広いお風呂に入り、自動販売機の食事をとり、陸らしきかすかな光りに目をやりながら就寝。朝起きても相変わらずの速度…。

船長に訪ねてみると、「そうですね、東京湾内で時速に直すと30キロくらいでしょうか。でも湾を出た所で速度を上げているんですよ、今は38キロくらいでしょうか」

「えー、巡航速度が38キロですか?」

「もっとスピードは出ますけどスピードに比例して燃料をバカ食いしますので、これが一番効率の良いスピードなんです」。ということでした。

なるほど、そう言えば大型船はどの船も大差ない速度で走っている。追い越そうとする後続の船を発見して眺めていても、なかなか近づかない。追い越されて30分眺めていてもたいして差がついてない。水の抵抗を考えると納得でした。

時間が有りすぎて、何も考え付かない23時間の船旅、諦めがついたとたん、肩の力が抜けて、快適と思えるようになりました。何もしない贅沢!!

 

11月の北海道の講演の旅も、茨城県の大洗からフェリー「サンフラワー号」に乗船しました。その時は18時間の船旅、お風呂場は浴槽が二つにサウナ付きの気の利いた風呂屋並み。そして、サンフラワー号の大きさに、「昔は大勢が利用したんだろうな」と感慨にひたりながら暇な船旅が楽しさを増してくれました。人は少ないし、安いし、疲れない。本州を離れる旅ならフェリーが最高!人間はなんにもしない時間も必要なんですね!


       ★    会報8号 2007年 7月15日号

昨年第7号の会報を印刷所に送ったその時期に沖縄、宮古島、石垣島に講演に出かけました。このようなチャンスも少ないことから、日にちを伸ばして、過去2回失敗している波の音の録音をすることにしました。

今までは雨と港を出入りする船の騒音で全滅だったので船が終わる7時頃からの録音です。夜はハブも恐いしするので、めったな所には行けません。そこで珊瑚でできた小さな無人島に渡って一晩中録音することにしました。携帯電話は通じますが、緊急時しか使えません。何故なら渡してくれた船頭を起こすはめになるし、また複雑に入り組んだ珊瑚礁の海ですから夜は船が出入りできません。

珊瑚が積もってできた、木が一本もない、巾40メートル長さ150メートル、標高3メートルの無人島ですから雨が降ったり、不測の事態をどうしようと準備だけはしました。

(もう一つ心配はここに夜渡ることは禁止らしい)

準備万端までは行きませんが、渡ることに決め、講演が終わった翌日、船頭に電話した所、今日はダメだと言われ、一日暇つぶし、翌日は快く引き受けてくれて夕暮れ時に念願の無人島へ。

まだ日のあるうちに録音機をセットしてしまわないとと、島の二箇所に準備をはじめました。海に落ちる夕日が今日最後の輝きを見せながら次第に暗くなる。船らしき音がまだ聞こえる。闇夜となって録音を開始する。珊瑚の島はまだ暑く、喉が乾く。持っていったビールで待ち時間を過ごしながら天を仰ぐと真上の空には天の川、東からオリオン座が出てくる。

10月とは言ってもまだ昼間は真夏、水を買い込み、暇なので有名なオリオンビールも買い込み、空を見上げてはバッテリー交換、録音機点検。

結構風が強い、でも今回は防風対策がうまくいっているようで、強い海風にマイクロフォンが耐えている、時々マイクロフォンが風にあおられ倒れている。今回は倒れても海側に落ちないように慎重。

点検が終わって、ネグラに帰って空を見上げているとアチコチでチクと刺される「イテッ」、良く見るとはさみ虫の大群だ。こんな所に虫がいるなんて、強風を唯一防げる窪地なもので移動もできない。追い払っては一寝入り、刺されては追い払い。ビールがまだ残っていた、と一口含んだ、口の中で何か違和感が有ったと思っら、舌ベロに激痛、慌ててはき出すと、何とはさみ虫ごと口の中に入れてしまった。

二日目ははさみ虫対策をして島に入った。相変わらずの強風、強風とビールが入ったためか、気温はそれほど低くないが、長袖2枚着こんでグランドシートを被りながらガタガタ震えが止まらない。空を見上げると相変わらず美しい星空。

オリオン座と天の川が真上になった。天の川の方向の一等星を見ていたら突然、中間あたりで強烈な光、その点に目をやったら再びピカッ、三度ピカッ。同じ点で3回も光る不思議な光景。

後で会員さんからの情報で、オリオン流星群が丁度そのあたりから降ってくるのだそうで、静止流星だということが解りました。なんだそりゃ。聞いたことないぞ!。

今回のこの無人島での録音は20時間強、帰って精査してみると、狙った音とはやっぱりちょっと違うが、この音もまた一興。

「珊瑚の海」と題してCD化した。

 

防風対策も効果を発揮していたが、返り討ちとまではいかなかった。もう一度チャレンジをしたいものだ。

一枚の海の音のCDを作るだけで実費だけで百万円近い。溜息が出ますね。これも良いものを作るため。皆さん伝聴研自然音をよろしくお願いいたします。



《雨に鳴く鳥》 11.7.4   2004年製作

《雨に鳴く鳥》

録音を始めて数年後の事。この年は鳥の録音に行くと雨。それでも仕事の合間をぬって録音に行く。また雨。そんな雨の日のある夕方、雨でも鳴いていないかと、通い詰めていた富士山麓のブナ林の原生林へ偵察に車を走らせた。

いつものブナ林はスッポリと霧に包まれて幻想的な雰囲気だった。

車を下りてみると、何とその霧にこだましてウグイスがあちらこちらで鳴いていた。

この日はまもなく日暮れになるので、明朝にしようと諦めて宿舎に戻った。

朝3時半、目覚ましの拷問に重い体を起こし、期待を込めて再びブナ林へ車を走らせた。高度を増すとともに、霧が雨に変わってきた。

また雨かと、昨日録音しておくべきだったと悔いた。

ブナ林に到着したが、極めて体調が悪く、体の震えが止まらない。体は冷えているが、汗ぼったい。

その雨の中でもウグイスは鳴いていた。

雨では水に弱いマイクロフォンではどうにもならない。さらに録音機をセットする気力も失せている。

しかし今年はまだ一つの録音も録れていない。

「録音はできそうにない天気だ…」。

「体が思うように動かない…」。

「一刻も早く帰って休みたい…」。

「折角早起きして来たのだから…」。板挟みで悩みに悩んだ。

反面、それでも持って来ている機材類でどうにか録音ができないものか、とも考えていた…。

「そうだ!」とある名案が浮かんだ。

数枚のタオルがある。それをマイクロフォンのカバーに使えば、雨は防げるし、直接の雨音も防げるだろうと、車の中にあった雑多な部品でマイクロフォンに被せる三角の傘を作れるのではないか。作れるかどうかやってから、ダメなら帰ろうと。

しかし防水のマイクロフォンカバーの方法を思い付いてしまった。

大きな木の下であればタオルが濡れて、マイクロフォンに水滴がしたたり落ちるまで、30分くらいは録音できるだろうというものだ。

気力を振り絞って山の中へと入って行った。

———————

それから一ヶ月後の7月初めの頃であったろうか。北八ヶ岳の知り合いの山小屋に行った。例の伏流水を録音し、翌日、穴に落ちた時に泊まった山小屋だ。

この日も着いたら雨になってしまった。

久しぶりであったし、明朝の録音もできないだろうと小屋のオヤジと酒を酌み交わした。

10時頃部屋に戻った。いつもの事ながら、たっぷり水分を含んだ冷たい布団に入ったが、体中に震えが走り、止まらない。暖まると今度は蒸し暑い。体温調節がどうにもならない。

しばらくして寝入ったが、寒さと頭痛が襲って来て吐き気もする。寝ては目が覚め、を繰り返していた。雨は相変わらず降っているが、不思議な事にこんな夜中に外で鳥が鳴いている。「見事に鳴いている」と思いながらも布団から出る気力もない。

11時半頃また頭痛で目を覚ましたらまだ鳴いている。酷い頭痛だ。

「今年の録音は雨の富士山麓だけだ。俺は何のために来たのか」「夜の鳥の鳴き声なぞそうあるものではない」、と気力を振り絞って、小屋の3階へ行った。小屋のトタン屋根の音、小屋の周囲にある空き缶に「ポン、ピン、ビシャ、テンテン」と賑やかである。これも昔雨漏りのする家で、ボールやバケツを置いて雨をしのいだっけ、これも一興かと思って雑音もろとも録音することにした。

30メートルもあろうかという木のテッペンでまだ鳴いている。マイクロフォンを仕掛けてから30分ほど鳴いてくれた。

————

これも思い出したくもない辛い思いでとなって、この二つの録音は帰ってからも聴きたくもなかった。

翌年、苦しさも薄れかかった頃、録音を聴いてみた。録音は綺麗に録れているものの、聴くとその時の辛さが蘇ってしまう。「没」と、その後さらに一年間聴くことはなかった。

この録音から二年後の夏にいろいろな録音を調べていたとき、たまたまこの録音のファイルが目に止まり、聴いてみたが、なかなか雰囲気が良く、他の録音にはない。と言うより今後録れそうにもない録音であることに気づき、CDを制作することにした。

‘ある山の風景’「雨に鳴く鳥」である。今では懐かしい思いでとなっている。

—————

鳥の時期も過ぎ、では虫の音の録音に、と出ると雨、とうとう一万キロ、合計40日間、その年はとうとう、この二つの録音のみという苦い想い出の年になってしまった。

 

しかし、思い返しても、富士山麓の霧の中で鳴くウグイスのさえずりは今でも耳に残っている。


         ★        会報●号 年夏号