4.自然音日記      25号〜40号

40号 《自然は異なもの》

《自然は異なもの》
 最近でこそ少なくなったが鳥の時期、虫
の時期など、かつては多い時だと毎週のよ
うに録音に出た事もあった。
 一番多く録音機を仕掛けた場所は富士山
4合目あたりのブナ林だ。ここは少なくと
も15 年間で百回を越える録音をしていま
す。それも録音機も2台は仕掛けています。
 鳥はいるのだが、満足できる録音は微々
たるもので、ここでの録音は2枚のCD にできただけだ。
 これほど確率の悪い場所はない、という事は解っているのに出掛けてしまう。
 しかしこのブナ林に鳥はいるとは言うものの、年によって大きく違う。近年では下界で鳴いていた鳥が幅を利かせるようになっている。
 最近、特にコロナの時期は登山道閉鎖もあって私もすっかり足腰が弱くなって危機感を覚えていた。
 富士山がダメなら富士山を取り囲む周辺の山へ行ってみたらどうだと、周囲の山の散策を始めた。

いつぞやは「富士山の眺望日本一」と言われる「新道峠」の記事を書いたと思いますが、最近も運動不足解消の為、何回となく、登山道や林道を歩いている。
 ある時、林道ではなく登山道を登ってみようと思い、録音機を背負い、簡易の三脚を持って登って行った。近年、高性能な録音機もえらく安くなり、また手の平に収まるくらいの小型にもなり、長時間録音もできるようになった。
 録音を始めた頃にデジタルになった事で「便利になったものだ」と思ったが、それでも1台持っていくのが精一杯、当然バッテリーの予備も4 本くらい持って行く。この重量が結構なものになる。
 その後、重さ大きさも半分になった時、初めて2台持って行けるようになって効率的な録音ができるようになった。
 その録音機も古くなり修理不能になった事から新調することになった。

「こんな安物で?」と買った録音機を試してみると、何と素晴らしい性能。おまけにさらに小型で長時間録音も可能。価格を含めて全て初期の録音機の十分の一以下だ。最近はもっぱらこの録音機に頼っている。
 そんな軽い録音機を携えて山登りをしているのだが、この新道峠へ登っている時、尾根近く小さな沢が流れている所に出た。
もちろん結構な斜面だが岩の間を広く流れ下っている。おまけにその時はいいかどうか判らなかったが「グワー、グワー」とカエルらしき声がする。一応録音機を仕掛けて、帰りに回収した。
 その翌日、時季外れであったが、例の富士山麓ブナ林に行ってみた。
 コロナの影響だろうか途中で通行止め。録音できるとは思ってはいないが、万が一鳴いていた場合にはまた録音機材を取りに帰らなければならないはめになる。(車に忘れ物をして往復させられた苦い思いが何度もあったからだ。)念のため録音機とマイクロフォンをかついで行った。
 到着してみると、その林道の真上で何と沢山の鳥が鳴いているではないか。『???何で?』万が一に遭遇!
 ともかく録音機をセットして車の所へと戻った。
 一時間して録音機を回収。

 帰ってからこの二つの録音を聴いてみると近年にない、この上ない録音であった事がわかって小躍りした。
 あれほど録れなかった録音が、それも時季外れの、おまけに林道上で⋯。

素晴らしい録音になっていた。「胸を張ってCD が作れる」と喜んだ⋯。
 しかしよく考えてみると自然音CD は既に40種類も作ってしまっているのだ。作っても採算が取れない。折角編集まで済ませたのに⋯。

考えた末CD 化は諦めてしまった。
 「水の音と鳥の声。いい録音なのに!」

35号 ようやく録れた「枯れ葉の舞い」

 録音を始めて、20 年。こういう音が

録音できたら、と夢に描いていた音

◦焚き火の音・酒の発酵の音

◦枯れ葉が舞う音・落ちる音

◦稲穂がそよぐ音

 この中の焚き火の音・発酵の音は6年がかりで録音ができ聴覚トレーニングや

自然音CD に使う事ができた。

 枯れ葉が落ちる音は二十年近く、寒い思いをしながら、機会ある毎に山に入って試みた。セミナーに出張の四国、北海道。奥多摩。いずれも叶わず。

 行き当たりばったりではダメだと、定点で狙う事にし、富士山麓を狙って盛んに通ったが、行くと時期が早く、次に行くと禿げ山になっている。富士はダメと悟り、富士から甲府側の山に切り替えた。

 広葉樹帯の山で、林道は一日数えられる程しか通らない絶好の場所だ。しかし遠くに見える甲府盆地の音が飛び込んでくる。枯れ葉は小さな音なので、これも絶望的。

 携帯も通じない山の中でパンクすること2回、夜明け、枯れ葉で埋まった側溝に車のタイヤを落としたり散々な目に遭った。そこも3年通って諦めた。

 河口湖の秋も今では何も録音する場所がなくなってしまったが、「そうだ来年春のために新しい場所、林道を探してみよう」と、本栖湖から身延に下って偵察に行った。

 数年前、身延近くから田貫湖に抜ける乗用車では入って行けないガタガタの林道があると聞いていたので、四駆のデリカなので何とかなるだろうと、行ってみることにした。

 林道は突き止めたものの、登り始めて数キロ進んだ所で通行止め。台風で崩れて通れないとの看板。ガックリ!

 しかたなく引き返したが、そのまま引き返すのも、と思って、横道を探しながら下った。

 細い横道を見つけ、どこまで行けるかと入って行ったが、幸い道は途切れることなく続いている。

 富士川沿いの約200 メートル上を延々と道が伸びている。ところどころ富士川と富士川沿いの集落が一望できる。絶景がある。

 さらに河口湖周辺では、葉も落ちて枝は坊主だが、ここ身延付近はまだ枯れ葉が付いている。枯れ葉になりきれない緑の広葉樹さえある。

 

 「枯れ葉、枯れ葉」、と車の上を見ながら広葉樹林を探し回る。

 大分走った所で空から大量の葉が落ちている場所が見つかり、小躍りして車を止めて録音にかかろうかと思ったら、そこは沢の近くでゴーゴーと沢の音が入る。

 また走る。落ち葉が散っている場所が見つかる。録音機を仕掛ける。すると無風になって枯れ葉は落ちて来ない。場所をチェックだけしてまた走る。

 こんなことを何回となく繰り返した。翌日も走り回った。

 この様子だとまだ1〜2週間は落ちずに残っているのではないかと、今度は林道をしっかり調べて、静岡側から新たな林道を目指して入って行った。

 紅葉真っ盛り。静岡側はさらに暖かい。山深い温泉を目指して入っても行った。

 こんな所の温泉なら泊まってみたいと思わせる素敵な温泉だったが、日帰り温泉だった。ガッカリ。気を取り直して温泉横を登っていくと、何とココも通行止め。やむなく身延のその林道に行った。

 何日も通ったのでだいたい状況も分かってきた。

 沢がない。下界の騒音が入らない場所と。しかし所々で伐採の音が入る。一応それらの下調べも終わって、今年はやっぱりダメだとわかった時。

 「そうだ!」と閃いた。林道横に枯れ葉が積もっていて、風が来ると枯れ葉が舞う。コレを録らずに何を録音するのだ。大晦日から正月は車も少なく、飛行機も少ないだろう。伐採の作業もないだろう。大晦日と三が日が狙い目と連日林道に入った。

 連日好天だった。夕方の方が風があるだろうと思ったら夕方になるほど風が止む。

 それでは上昇気流を狙おうと、夜明け前に出掛けてみたら何と、強くもない弱くもない絶好の風が時々吹いてくれる。

合計4日間で10 年近い願いが叶って枯れ葉が舞う音がようやく録音できた。

 録音をして聴いてみると想像とは違って、それほど郷愁を誘う音ではない。しかし15 年以上かけた録音だ。

 さてこの枯れ葉の舞いの録音をどうしたものか⋯。


富士山が入山禁止なら周辺の山に行こう

コロナ騒ぎで富士山登山が禁止なら周

辺の山に行こうと、今回は毛無山(2000メートル)の途中にある「不動の滝」に定め、前日車で偵察に出た。

 「だいたいこの辺から山に入るはず」だと県道を逸れた。次第に細い道になり急斜面の林道になってしまった。

 ひょっとしてという勘が働き、峠まで行ってみる事にした。

 3〜4年前、枯れ葉の録音で本栖湖を下り、下部温泉から山越えして猪之頭に出る林道に行こうとしたが、その時は大型台風の影響で崖崩れ、通行止めになっていた。

 今回は猪之頭側からだったが、峠のトンネルまで出た時、案の定その道だと分かった。

 峠のトンネル手前からの富士の眺望がとても綺麗だったので、翌日は夜明け前にここで録画をしてから、不動の滝に行こうと決めた。

 翌朝、日の出前に到着してみると、何とアマチュアカメラマンのカメラの放列。新参の私は小さな顔で、ちょっと横に三脚を立てさせてもらった。天気が下り坂との予報で、若干の雲があったがそれが朝日に染まって実に見事な雰囲気をかもし出していた。

 日の出まで録画して早々と引き上げ、不動の滝の登山口へと車を走らせた。

 

林道を歩き始めて直ぐに急斜面。まるで八ヶ岳やアルプス登山のよう。

 大勢の登山者に抜かれながら、長年の運動不足を嘆く。

「来るんじゃなかった!」何度思った事か。

「滝まであと30 分」の道標を見ても少しも嬉しくなかった。私の足では一時間も苦しむ事になる。

これ以上は無理だと思い始めた頃、ようやく到着。

 滝を見たとたん疲れは半減。立っている場所から下は90 度近い崖になっている。

 対岸に細い滝が落ちていた。写真で見た通りの素晴らしい景観。滝は見える範囲では落差150 メートルくらいはあるだろうか、一筋の水が流れが見える。

 こんな所にこのような素晴らしい滝があろうとは⋯。

 陽が当たるのを待って録画を開始した。目の前に見えるものが画面では一部しか見えない。広角のレンズだと小さすぎ、ズームすると一部しか写らない。景色というものはそうしたものだ。

 

 NHK の深夜2時くらいに時々ベネズエラのギアナ高地にあるエンジェルフォールの映像を放映する。垂直に落ちる水量豊富な滝の落差は何と979 メートル。テレビの画面では計り知れない。

 私が小学生の頃、なけなしのこづかいで買った「世界の七不思議」の冊子に、「最近発見されたジャングルの中にある1千メートルくらいはありそうな滝」、と書いてあった。

 ジャングルの中に突然1千メートルの滝?? 上が見えない??

 想像すら出来なかった。

 それから約20 年後、1枚の大きなポスターとなって初めて見る事ができてとても感動した。

 今となっては実際見る事は叶わないだろうが、そんな事を思い出しながら不動の滝の撮影をしていた。

 機材を片付けながら、「帰りの急峻な下り坂が思いやられる」と想像するだけで嫌になるが帰らない訳にはいかない。

 下山を始めると、右足の指がおかしい。

足の指が捻挫のように痛む。膝裏も捻挫のような痛さ。なんとか林道の車に戻った。

 足を捻りもしないのに捻挫の痛み。「帰れさえすればコウケントーがあるさ!」

 歳には勝てない、だけではなくてあまりの運動不足に自分でも情けないと呆れる始末。

 疲れているときは車の運転までおとなしいもので、自分でも笑ってしまう。

 車はそんな事はないのに、飛ばす気にもならないのだ。

 富士山周辺には富士山を見ながら登る素晴らしい山が取り囲んでいる。

 さて次はどこへ行こうか!

33号 大沢崩れから新道峠へ

 前回32 号の会報が書き終わって、安

心して富士山の5合目から御中道を通って大沢崩れに行った。

 富士スバルラインも冬期通行止め直前の事だ。

 登山道には雪があるので滑って怪我をするといけないという事で、再度ヤフオクでアイゼンを買った。出発すると直ぐに雪、西側斜面には雪がありアイゼンが役に立つ。

 日が当たる所は雪が消えている。それでもアイゼンを履いたまま進んだ。

 いつも大沢崩れの帰りのコースは立ち入り禁止の簡易な木道の作業用林道を通っていたが、この日は行きにも作業道を通る事にして入って行った。

 その木道は梯子のようになっているために木部に足をかけて進まなければならない、ちょっと不安定で疲れる木道でもある。

 木道に入ってから、木道の木にアイゼンが食い込み、100 メートルくらい進んだ所で、これはまずいなと感じ始めた!

 木道にアイゼンが食い込んで足が抜づらく体のバランスを崩す事何度か。

 「アイゼンを脱がなければ」、と思った瞬間、左足が木道に食い込んで体のバランスを崩し、2~3メートル下の斜面に頭から飛び込んでしまった。

 後頭部を強く打ってしばらく唸っていた。

 内心「大丈夫かな?」と心配していた。

痛みも和らぎ、後頭部に手を当ててみたら血が吹き出ている気配もなくひとまず安心。

 打撲ですんだようだ。

 リュックサックは腕から抜けかけて頭上にある。

 幸い録音機材はじめ荷物はリュックサックに留まっているようだ。

 不思議な事に目の前に剥き出しになった古いバンドエイドと超小型の懐中電灯が転がっていた。

ザックから飛び出したのか、元々落ちていたのか?

 一息ついて冷静になった時、左足のスネが痛むという事に気付いた。

 もしかすると、とズボンを捲ってスネを見てみると長さ10 センチくらい切れていた。それほど血も出てなく、傷も深くはなさそう。

 頭上にころがっていたバイ菌がたっぷり付いていそうなバンドエイドを6~7枚貼った。

 ころがっていたバンドエイドは、貼りなさいというメッセージ!

 「なるほどそう言う事だったのか」と妙な気持ちに納得。

 一休みして、歩けそうなので、「折角来たのだから」と、引き返す事もなく目的地まで慎重に30 分ほど歩いた。

 帰りの時間を気にしつつ目的地の大沢崩れでもう少し、もう少しと45 分くらい録音した。

 「もう出ないと日が暮れてしまう。間に合うかな」と3時に出発。

日が落ちても30 分は明るいので何とかなると考えたのが、間違いだった。

 運動不足と、壊れた足ではどうにも進まない。とうとう登山道が見にくくなって来た。足で探りながら進むしかない。

 「どうしようか!」

と思った時、「そうだ、さっき小さな懐中電灯が転がっていたっけ」。と思い出し、リュックサックから出して点灯してみると、十分な明るさ。

 駐車場までなんとか戻る事ができた。

「百均で買った超小型の懐中電灯。たいしたものだ!」感激!

 宿舎にはコウケントー(11 ページ参照)が置いてあるので、一時間しっかり当てて、殺菌と打撲の治療。

女房には「頭を強く打ったので、念のため朝電話してくれ」と頼んで就寝した。

幸い無事、目覚めたのは言うまでもない。

後頭部をぶっつけたのは岩ではなく大きな木の幹にぶっつけたらしく、耳の後ろ側が少し切れて打撲の跡が出来た程度で済んだ。

 またまた運が良かった。

 翌日天気も良かったので、思い切って河口湖の富士山とは反対側にある「新道峠」という山に登った。冒頭の写真は新道峠から。

 「日本一の眺望」とあるが、宣伝通り絶景だ。

 真下に河口湖、左端には山中湖も見える。

 もし皆さんが河口湖に行くことがあったら、河口湖から車で30 分弱、足を伸ばして、駐車スペースから徒歩12 ~13 分でこの新道峠に出られる。スカート、スニーカーでも装備がなくても、十分行く事ができます。河口湖まで行って、ここを見なくては損。絶景を楽しんで下さい。

 カーナビに「スズランの里」(芦川村)

と入れます。スズランの里を通り過ぎ、林道を5分ほど進むと道が二手に分かれます。右に5分ほど進み、突き当たりの駐車スペースから登ります。

 不案内の場合はどうぞお尋ね下さい。

この会報が届く頃に私は再度、この新道峠や、大沢崩れに通い詰めていると思います。

(2020年、今年はコロナの影響で現在通行止め。11月開通の予定と記されている)


32号 大沢崩れ

11号でお知らせした裏磐山の爆裂火口の録音で悔しい思いをした事はつい先日のように思っていましたが、もう10年も前の事になってしまったようです。

 爆裂火口は幅が2㎞くらいあるでしょう

か。高さが200〜300メートル。その崖から岩石が火口に崩れ落ちて来る音が凄まじい。

 カーン。クワーン。岩がピンポン玉のよう

に飛び跳ねながら火口壁を落ちて行く。

 火口壁にこだましながら周囲の岩を巻き

込み落ちて来る様は凄い迫力だ。

 立ち入り禁止の火口に入り込み、一番高い壁の真下、いつ岩が落ちて来るか上を見ながら恐る恐る録音機をセットした。

 少し離れた大きな岩陰に身を潜め、落石を待った。

 1時間に3回4回落ちて来ただろうか。しかしたいした録音にはならなかった。

 ところが、セットした崖下の録音機付近から私を呼ぶ声がする。「おーい、傳田さーん」ペンションオーナーの木村氏夫婦だった。

昨日は「危ないから」と、あれほど僕を止めたのに何と道もないブッシュをかき分けて来たと言う。コーヒーと弁当を持って来てくれた。

 霧雨が落ちて来て寒くなった。彼らを待たすのも、という気もあって帰る事にし、録音機を引き上げた途端、カーン、コーン、クワーンと、今度は響き渡る…。

 「どこどこ!」、と岩陰から見上げると崖の最上部に豆粒みたいな岩が踊っていた。

 その岩が跳ねる度に次第に岩を巻き込んで2つ4つ8つ。100、200。とうとう岩なだれになった。

何万という岩が崩れ落ちて来たのだ。岩陰から首を出したり引っ込めたり。

 幸い殆どの岩は私たちの右側に流れ、幾つかが私たちの方へ向かってきた程度だった。

 唖然として、ただ「スゲー!」と見守っていた。

 しかし、録音機は撤収した後の祭り。悔しさだけが残った。

 帰って酒盛りの時、「悔しいからって大沢崩れだけはいかないでよな」と酒盛りに同席したもう一人の友人、唐橋氏から釘を刺された。「………」。

 その10年後の今年。

 普段事務所で座りっぱなしの超運動不足の私だが、2週間に一度の休みを、録音を兼ねて河口湖に行っています。折角行きながら富士山麓のみで、富士山の4合目以上は行きませんでした。当然5合目にある大沢崩れには行くことはありませんでした。

 大沢崩れまでは5合目から富士を周遊している歴史ある御中道(おちゅうどう)という平らな登山道があるといいます。そこを進めば大沢崩れに出るらしい。

 途中でへばったら引き返せば良いかと、マイカー規制が解ける9月初旬、大沢崩れ行きを決断した。道中2時間30分という行程なのだが、へたった私の足では行けたと

しても3時間?!

 インターネットで調べてみても写真と解説はあるが、要領を得ない。どうせなら地図だけの方が良いがそれもない。

 

 御庭(おにわ)の駐車場から入るらしいが行けば分かるだろうと出掛けた。

 駐車場の係員がココを行けば良いと教えてくれた林道を上がって行った。

 引っ切りなしにヘリが離発着を繰り返している。大沢崩れの土砂ダムを造っているらしい。

 ヘリポートを越え進んで行くと開けた周遊道らしき所に出た。どこにも大沢崩れの看板がない。見誤ったのかと、仕方なく引き返したら直ぐに、小さな小さな道標が出ていた。

 「エー、こんな所に?」

 江戸時代から続く何百万人が通っただろう歴史ある登山道がコレ?

 兎に角入って行くと、直ぐに崖崩れのため通行禁止の規制ロープが張られていた。

 「それで案内板がないのだ」と理解できた。

 折角きたのだから「行ける所まで」と進むとまた規制ロープ。

 出会った人、数人に聞いてみると「行けるよ」と言う事だが、

 「通行できないので上に行ったが藪漕ぎ(やぶこぎ)が大変だった」と言う一行。

 「ああ、直ぐに越えられるよ」という二組に出会う。両極端だ。

 兎に角進んでみるとまた規制ロープ。その先の道が怪しいので迂回した。

 確かに崖崩れがあって心細い急斜面を数カ所越えた。

 どこが通行止めなのだろうか?と思った時、帰りの人にまた出会った。

 「下の道ってどう行くんですか?」

 「これが下の道ですよ」

 偶然通行ができる下の道に入っていたらしい。

 ともかく3時間強で大沢崩れの地点に到達できたが、これまで快晴だったが、谷はガスがかかって全く見えない。

録音機を仕掛けたが、7分に1回くらいガラガラと音がするが、崩れている箇所はどうも200メートルくらい上部のようだ。

 たいした音が録れそうもないので40分くらいで引き返した。

 帰り道はすっかり日が暮れてしまって危うい所だった。

 翌々週再び行ってみた。天気は悪いものの、大沢崩れにはガスがなく見通せた。

 なるほど凄い谷だ。

 途中で来た人たちがいたが、「スゲー、何回も来ているけど初めて見えた。スゲー」と感嘆の声を上げていた。

 確かに凄い谷だが比較するものがないので大きさが今一つ掴めない。

 対岸上部の林から落ちかかっている針葉樹が、小さな楊子くらいにしか見えない事から、この谷の大きさを想像する。

  いつかこの上部の大きく崩れている箇所、200メートル直登して録音したいと考えています。

 直登なので、いつ体力がつく事か、雪が降るまで通い続けようと思っています。

 しかし仮に岩崩れの音が録音できたとして、一体どこに使うのか。あのような恐ろしい音はとても聴覚システムや、自然音CDにはならないだろう!

 遠くから眺める富士山は左右対称の優美な姿だが、中腹を歩いてみると、富士の荒々しさが凄い!


会報30号 宮本武蔵のような「気」の⋯

《宮本武蔵のような「気」の⋯

もう7年くらい前の出来事です。会報でもお知らせしたので、覚えておられる方もいるかも知れません。

それは早春、富士吉田側から入った富士山麓の富士桜で有名な割合平らな地点で録音を試みた時の事です。

そこは明治時代頃、富士桜の名所で、今は想像もできないほど朽ちてしまっている小屋に、芸者まで居たという話しです。その富士桜は乱獲されて、今は復活を目指して柵で囲われています。その柵の奥に録音機をしかけて夜明けを待った。録音機から50メートルくらいしか離れていないため、踏み音が入ってしまうので、柵に肘をかけてジッとしていた。

空が白んで、次第に赤くなり、太陽が顔を出して、広葉樹林を照らし出した。

同じ姿勢を30分も続けているのでさすがに体が痛くなった。

音を立てないようにと静かに体を動かしたその時、私の体の真横1〜2メートルの所で「バサ」と凄まじい音がして腰を抜かさん程驚いた。「何事か!」、と振り返ると2頭のメス鹿が、これまた凄まじい勢いで逃げて行った。

ボーっとしていた私に気づかず、私の真横に来てしまったものと思われる。私は、ただ夜明けの美しさに見とれていただけなのだが、今考えると一切「気」を発していなかったのではないか。でなければ臆病な鹿が私の真横にくるはずもない。

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前回の会報で洞窟の探検秘話を書きましたが、その続きの話しになります。洞窟の録音も一応終了し、久しぶりにパワースポットの一つ〈富士の森と聖祠〉の録音をした1700メートル付近の新屋山神社の奥宮へ行ってみた。小さな祠が原生林に囲まれ、富士が目の前にそびえている。

この付近で鳥の録音が出来たのは十数回通ったたまものであった。この日も録音ができるとは思わないまま出掛けてみた。

 神社にお参りをして、この神社の近くにある小さい火口の一つに行ってみた。(写真の地)ここもたった一度だけ素晴らしい録音ができた場所だ。

「気」も素晴らしいので自分の浄化にと思って原生林の中へ入っていった。

ここは馴れないと長時間居られないほど寒い。 

 突然微かな音ではあるが「ドドドド」と地響きのような音が微かに聴こえた。録音では何回も聴いていたが、「気」が発する音だ。生で聴くのは初めての経験。千載一遇のチャンスと、鳥はいないが、慌てて録音機をセットした。

自分の雑音が入ってしまうために、手前の尾根に避難。待つ間木の根っ子にでも座ってと思ったが、根が腐ってなくなっていたので、腰をおろせるだけの小さな草地に座った。

雄大な富士を眺めながら冥想の真似事をしていた。

10分か20分くらい経ったのだろうか。突然頭の後ろの方からパタパタパタパタと羽音が近づいてきた。

カブトムシのような大きな虫が飛んで来るのかと思った瞬間、頭の右後ろの髪の毛に止まった。慌てて頭を振った。

その虫とおぼしき物体は、Ⅰメールくらい横にある木に飛び移って、盛んに首を捻りながらこちらを見ていた。

5〜6秒後、飛び去ってしまった。虫と思ったその正体は何と鳥だった。

 

先方も驚いただろうけど、私も驚いた。特にそれが野鳥だったとは!

こんな事があるのだろうか!

ここの録音は《パワースポットの音》〈富士の森と聖祠〉

・・・・・・

宮本武蔵の小説にこのような事が書いてあった事を思い出しました。

殺気だらけで荒れ狂っていた宮本武蔵を住職が見かねて、寺の一室に幽閉。そこで武蔵は3年もの間本を読みあさって一つの開眼をする。

庭に出て刀を抜いて天にかざしながら冥想をする。いつしかその刀に鳥が留まるようになる。

そのような内容だと思いましたが、そんな事が実際にあるのかとても疑問に思ってしました。しかし実際に体験できた事によって納得できました。

会報29号 富士風穴内で録音?      2018.夏号

富士山と富士周辺には年間50回以上入っているのに十年来、狙って録れない枯れ葉が舞う音の録音。寒い思いをしながら「今年もまたダメ」と⋯。「もしかすると青木ヶ原樹海だったらまだ枯れ葉が舞わず残っているかも」、とかすかな期待をかけて、10年くらい前に訪れた事がある風穴群(溶岩のガスが抜けた洞窟)付近に行ってみた。しかし残念ながら全て木の葉は落ちていた。折角来たので久しぶりに風穴でも見ようかと原生林の中に入って行った。

当時看板もなかった獣道のような登山道だったが現在、車の通行は遮断されているが、林道が通っていた。山道とは違って10分ほどで到着。

風穴の外側でガイドが何やらカップルに説明をしていた。

挨拶を交わして二言三言。そのガイドから重要な情報をもらった。「今、富士洞穴の中に入ってきたんです。150メートルくらい入れるけど、水滴が落ちる音と水の流れの音が綺麗でしたよ」と。

 

「もしかすると冬には氷筍ができますか」と聞いてみると「5月までくらいだったら見られるよ」という貴重な情報を得た。「しめた!」。「もう冬山に登る苦労をしなくてよい」。

その日から洞窟に入る算段を始め、アイゼンを手に入れ、10日後早速その水音の確かめと翌春の氷筍録音の下見に洞窟へ出掛けた。

ところが洞窟内はどうなっているかわからない。真っ暗な洞窟だけは苦手なのだ。

その洞窟内に入る前に観光で有名な鳴沢風穴、富岳氷結、コウモリ穴に行って洞窟内部の予備知識を入れようと行ってみた所、天井が低くしゃがみ歩きをしなければならない所もあり、運動不足の私の心臓がバクバク。おまけに結構入り組んでいる所もある。

電灯もついて整備されている風穴や氷結ですら、今の私には結構キツイものがあった。「これは一人で入るのはまずい」、とさらに怖じ気づいてしまった。

しかし録音はしたい。誰か一緒に行ってくれる人はいないものかと考えるが、思い当たらない。

 

いったいガイドはいくらかかるのかとインターネットで調べてみると五千円強だ。「それなら人を探すより余程早いし確実だ」。と早速ツアーの営業所に飛び込みで行った。

装備を全部借りて、ガイドと一緒に入って行った。

12月というのに既にあちこちにツララが下がっている。穴の先端に行くと一面氷りが張り詰めていた。氷の厚さは12メートルもあると言う。

滴の落ちる音を確かめて帰路に。入り口に戻ると「何でこんな所を恐れていたのか」と⋯。

様子さえわかればコッチのもの、早速年末から通い出した。勿論人が来ない夜明け前か、午後4時くらいに入るのだ。

年末から5月まで、毎月幾度となく入って録音をした。勿論ツララから水滴が落ちて氷筍に落ちる水滴の音まで沢山の録音が録れた。

これこそ自然の水琴窟だ。

 

さてこの素晴らしい録音をどうするか迷っている。CDにしても多くの皆さんに買って貰えるのだろうか?

そんな録音が山のように溜まっている。

会報28号   《雨に鳴く鳥》      2017年 年末号

この年は鳥の録音へ行くと雨。それでも仕事の合間をぬって録音に行く。また雨。

そんな中、翌朝の録音のために様子を見に富士山麓のブナ林の原生林へ車を走らせた。

ブナ林はスッポリと霧に包まれて幻想的な雰囲気だった。

車を下りてみると、アチコチからウグイスのさえずりが霧にこだましている。

それは美しい響きだった。

この日は日没も近かったので、明朝に期待して宿舎に戻った。

朝3時半、目覚ましの拷問に重い体を起こし、期待を込めて再びブナ林へ車を走らせた。

高度を増すとともに、霧が雨に変わってきてしまった。

昨日たとえ10分でも録音しておくべきだったと悔いた。

ブナ林に到着したが、極めて体調が悪く、頭痛も酷い。体の震えが止まらない。体は冷えているのに汗ぼったい。

その雨の中でもウグイスは鳴いていたが、水に弱いマイクロフォンなので雨ではどうにもならない。 

「録音はできそうにない天気だ…」。

帰る理由はできた⋯。

「一刻も早く帰って休みたい…」

が、「折角来たのだから…」。

しかし今年はまだ一つの録音も録れていない⋯。

板挟みで悩みに悩んだ。

一方では、持って来ている機材類でどうにか録音ができないものかなどとバカな事を考えてもいた。その時、「そうだ!」と名案が浮かんでしまった。

数枚のタオルがある。それをマイクロフォンのカバーに使えば、直接の雨音も防げるだろうと、車の中にあった雑多なものでマイクロフォンに被せる三角の傘を作れるかもしれない。

ダメなら帰ろうと⋯。

しかし残念ながら出来てしまったのだ。

大きな木の下であればタオルが濡れて、マイクロフォンへ水滴がしたたるまで、30分くらいは録音できるだろうというものだ。

気力を振り絞って山の中へと入って行った。

 

・・・

自然音CD・〜ある山の風景〜《雨に鳴く鳥》
〜ある山の風景〜《雨に鳴く鳥》

それから一ヶ月後の7月初めの頃であったろうか。北八ヶ岳の知り合いの山小屋に行った。以前記事でも紹介した伏流水を録音した翌日、原生林の穴に落ちて難儀した、その時に泊まった小屋だ。(山の風景①/音の風景③

この日も着いたら雨になってしまった。

明朝の録音もできないだろうと久しぶりに会った小屋のオヤジと酒を酌み交わした。

10時頃部屋に戻った。いつもの事ながら、たっぷり水気を含んだ冷え冷えとした布団に入ったが、震えが止まらない。吐き気もする。暖まると今度は蒸し暑い。体温調節がどうにもならない。

寝ては目が覚め、を繰り返していた。雨は相変わらず降っている。不思議な事にこんな雨の中、しかも夜中に鳥が鳴いている。しかし布団から出る気力もない。

11時半頃、再度頭痛で目を覚ました。まだ鳴いている。

「今年の録音は雨の富士山麓しかない」「俺は何のためにここに来たのか⋯」。

気力を振り絞って、小屋の3階へ行った。小屋のトタン屋根の音、小屋の周囲にある空き缶に「ポン、ピン、ビシャ、テンテン」と賑やかである。幼少時代を思い出した。これも一興かと思って雑音もろとも録音することにした。

30メートルもあろうかという木のテッペンでまだ鳴いている。マイクロフォンを仕掛けてから30分も鳴いてくれた。

 

・・・・・

この年は40日間一万キロ走ってたった二つの録音で終わった。

この二つの録音は辛い思い出となって、帰ってからも録音状態を調べたくもなかった。

この録音から三年後の夏、録音を調べていたとき、たまたまこの録音のファイルが目に止まり、聴いてみた。

なかなか雰囲気が良く、他の録音にはない。と言うより今後録れそうにもない録音であることに気づいた。私には辛いが、勇気を持ってCDを制作することにした。

  

ある山の風景No2’「雨に鳴く鳥」が出来上がった。雨音の高周波の強い刺激。脳力開発にはうってつけのCDになっている。

会報27号 《懲りず三度 龍ノ山に⋯》    2017年夏号

自然音日記

裏磐梯の友人から「今年は雪が多い」とお誘いの連絡がきました。

氷筍ができる喜多方市の奥、「龍の山」に三度目の正直と、挑戦をしてきました。

一度目の滑落事故の際に助けてくれた唐橋氏、ブナ屋オーナー木村氏と、もう一人お供の4人での登山です。

今回は最高の天気。サングラスをはずすと、雪と群青色の空のコントラストは素晴らしい。

写真のように正面には7〜8メートルもの巨大なツララが垂れ下がっています。

氷筍も立派に育っていました。

無事録音もでき、今回は何事もなく下山することができました。

良い録音ができたとは言っても、一回目の録音を使ってCD制作〈ある山の風景7《冬の音》は終わっていますので、この録音は “ハイパーリスナー”に使う事にしました。

この前日の早朝、猪苗代湖にまだ白鳥がいるのではないかと、暗いうちから車を走らせました。30分くらい湖畔を走り回った所、まだ旅だっていない数十羽の白鳥の一団が⋯。水鳥の声はリラクゼーションには向きませんが、少ない冬の音としては貴重な音です。カモの群れと一緒に泳いでいます。

この寒さの中で水の中に入っている光景は、寒がりの僕には理解不能。

 

この録音の数日後、白鳥は北に向けて旅立ったと言う事です。本年最後のチャンスだったようです。

 

録音が終わり、木村氏が委託している酒蔵へ。

 

酒が発酵している音の録音に行きました。録音は昼間だった為に雑音が多く、使える所は15分程度でしたが、これも無いと思っていた冬の音。新たな二つコレクションができました。

会報26号 自然音日記とは違いますが⋯  2016年末掲載

実は伝聴研会員でもある女優で大阪芸術大学短期大学部 メディア・芸術学科専任教授の三林京子先生の紹介でシンクロナイズドスイミングの井村コーチから昨年夏、伝聴研に伺いたいという電話がありました。

丁度その日は他の約束があってお会い出来ず、残念に思っていました。

もうチャンスはないだろうと思っていましたが、リオ五輪開催の一ヶ月前、三林京子先生から「明日の午後井村コーチから電話があるから対応してくれ」という電話が入りました。

三林先生曰く、シンクロの大阪の練習しているプールに行ったのよ」「そしたらリズムに乗れてない数人がいてバラバラで、井村コーチに『私に家に来なさい』と自宅まで引っ張ってきて、‘ブレインスイッチBOX’を聴かせたの」「そしたら、エ〜こういう事だったの」「是非使いたい」「でもシンクロには資金がない」

「そんなことを言う人じゃないから心配しないで電話しなさい」

と言うわけで電話をしてきました。

井村コーチは盛んにお金の事を心配されていましたが、兎に角使って頂こうと、まず‘ブレインスイッチBOX’4セットを大阪の練習場に送りました。

合宿地のグァムでは聴覚トレーニングしている暇は一切ない。と言う事で帰国後の連絡を待っていました。 

まもなくオリンピックが始まってしまうという頃に「〜〜日から国立科学スポーツ科学センターに移動して最後の仕上げをします。その時なら時間がありますので、しっかりトレーニングをさせたいと思います」と井村コーチから電話が入りました。

それならスポーツセンターには伝聴研の最強ツールの“ハイパーリスナー”でトレーニングをして頂こう。と4人同時聴けるように機械を改良して持っていきました。でリズム勘を養う事とプレッシャーを受け難くするプログラムを組む内容にしました。

井村コーチが直々に出迎えに出てくれてセットし、練習風景も見せてもらいました。地下に行くと、水の中の様子が見通せて、立ち泳ぎから競技に入る凄い様をじっくり見学できて感激しました。

井村コーチは、テレビで見ている様と全く同じ調子でやっています。

そっと帰ろうと井村コーチに静かに挨拶をすると、選手全員が「ありがとうございました」と返してくれました。

一礼をして帰ってきました。

 

リオまでの飛行機中の合計28時間は何もすることがないので、その間に選手にはしっかりトレーニングをさせますと、‘ブレインスイッチBOX’を2セット、三林先生のセットと共に、持って行ってくれました。

全員がトレーニングをしていれば良いけど、トレーニングをしない人がいるとリズムが狂ってしまう、と言う事が心配でなりませんでした。

シンクロのテレビ放送を全部チェックして、その日は明け方まで生中継を見ていました。

まずデュエットの演技では二人の演技がズレないでうまく行ってくれ、と祈る思いで見ていました。

それは素晴らしいリズム感。ウクライナより中国より演技のリズム感は余裕の感じられる表現力で、決勝では銅メダルになりました。

その瞬間三林先生から携帯電話が来て、私と二人で「凄い!凄い!バンザイバンザイ!」の興奮で電話を30分。この銅メダル一つでも井村コーチの面目は保たれたと、心から喜べた瞬間でした。

その後8人のチームの予選の演技をNHKの放送を待ちましたが、朝の5時まで待っても放送せず。出張先だったもので衛星が入りませんでした。とうとうテクニカルルーティーンを見そこないましたが、3位の情報が入りました。

決勝は朝の3時頃でしたが、8人のその演技の体の使い方は、母音から子音へのリズムが全員しっかり取れていて、それは余裕を感じさせる感動ものの演技を披露しました。動きでは中国を上回っていたと思います。

夜中の3時に三林先生に電話するのはさすがに憚られて、メールをしました。すかさず電話がかかり再び「やったやった!バンザイ!」の応酬。

リズムや演技の大きさは僕が感じた事と同じく中国より、ある部分では上回っていたと言うことは同じ意見でした。二人とも責任を果たせた思いに胸をなで下ろしました。

 

実はこのビジネスに入る前、私の著書 “日本人はクラシック音楽をどう把握するか”の研究の最中、日本人とヨーロッパ人の動きの違いについての科学的証明が取れないために、ビデオレコーダー3台を日夜、回しっ放しで外国人の演奏やダンスなどの演技、オリンピックなどの競技を録画しまくっていました。その比較の中の一つとしてシンクロナイズドスイミングのオリンピックを2回分録溜めてありましたので、その彼女らの動きの違いは良く理解していました。

このシステムが出来て以来、せめて音楽を使う競技だけでも使ってくれたら素晴らしい動きになれるのにと思っていたのです。

 

三林先生には井村コーチから度々電話があって、「今後使って行きたいと感謝をしていてくれた」。との事ですが、私の方へはまったく連絡はありませんでした。

また僕が「浅田真央ちゃんに提供できれば」と、昨年三林先生に話していたことを思い出してくれて、井村コーチに話したそうです。そしたらそっぽを向いていたとの事で、さらに絶対にこのシステムは他の競技者には教えたくないとも話していた、と言っていました。

私は「またか」と思いましたが、やむなし。

でもシンクロが銅メダルでよし、としなければ⋯。

オリンピックが終わって一週間ほど経ったら井村コーチから機材と選手の写真に手紙が添えられて、一人一人のサインが入っていました。(残念ながら選手の写真は掲載できません)

マグカップにも全員のサインがありました。伝聴研の宝になりました12月より東京オリンピックに向けて正式採用になりました。

勿論聴覚システムの最強ツール“ハイパーリスナー”を合宿所に持ち込んでトレーニングをして頂きます。

 

全力を挙げてお手伝いしたいと思います。皆さんも応援よろしくお願い致します。

会報25号  《肋骨2本折った不注意》           2016年夏号

 

 肋骨2本折った不注意

今年の3月、例の如く喜多方市の冬山に登って、もう一度氷筍の音を録ろう。という誘いが年末から来ていた。

運動不足がたたっていたので、「ああ行きたくない」。これは毎年思う事だ。が、2年連続して連れて行ってもらい、お世話になった。

一回目の一昨年、緩んだ雪に足を取られながら登って頂上付近で滑落。昨年は足を雪にもぐらせて捻って全治半年の故障。今回はお酒で清めてから登るという手はずになっていた。しかし、この半年すっかり気力が落ちて何もする気が失せていた。そのためか体調も今一つ。1月に入っても体力作りのトレーニングを全くしてなかった。

運動不足解消のためにも登るべきなのは分かっていたが⋯。

1月になり2月になり、「待っているから」との声をもらう。

断るつもりでいた3月初旬、裏磐梯のペンションのオーナー木村氏から「残念だけど今年は雪が少なくて登れないらしい」

 

「それは残念ですね〜」「諦めましょう」と心にもない返事をした。

それが祟ったのか、少し暖かくなった3月半ば、いつもなら裏磐梯に行っている頃だ。

花の手入れをしようとベランダに出た。朝方まで雨が降っていたが、良い天気になっていた。

私が住んでいる4階はベランダに出るたびに梁の部分を越えなければならない。この梁は厚い防水ゴムで被われている。そこは滑り易いので人工芝を敷いてあった。

足下を確認せずに梁の部分に乗った途端、何の前触れもなくツルっと滑った。その滑り方は道端の氷の上を知らずに歩いたのと同じ、受け身を取る余裕もなく仰向けに叩き付けられた。

前日の強風で人工芝が飛ばされ、おまけに雨で濡れていた。そこへゴムのスリッパで乗ったものだから、たまったものではない。

運悪く、右後ろの大型の植木鉢に右脇腹をイヤというほどぶつけてしまった。

「イテーッ!」

しばらく息も困難なほどだった。

 

 

その後は鼻もかめない、咳をすると激痛。クシャミなどは全身に響く。

「肋骨にヒビでも入ったんだろう」。とは思っていた。

会社に出勤すると皆「医者に行った方がいい」と。

それでも行かなかったが「貼り薬だけでも貰ったら、あの貼り薬は大きくていいのよ」という女房の意見を聞き「なるほど」と、しぶしぶ医者に行った。

医者はレントゲンを見るなり、「ああ2本折れていますね」

コルセットと貼り薬をもらって帰えった。全治1ヶ月半。

この時期、冬山に登っても登らなくても怪我をする運命だったと、可笑しくなった。

 

以前、河口湖に録音に行った際、たまには温泉に入ろうと誰も居ない露天風呂の広い洗い場を歩いて居たとき、ツルっと滑ってタイルの上に背中から落ちた。後頭部の髪の毛に何かが触った感触があった。

起き上がって見てみると、何と浴槽の縁石。肝を冷やした。あと一センチ頭が落ちていたら無人だった風呂、死んでいたかも知れない。

中学生の頃、柔道をやっていたおかげで、とっさに受け身を取ったようで、頭を持ち上げる癖も未だ付いていたようだ。

ベランダの時も脇腹こそぶっつけたが頭を打たなかったのは多分首を前側にしていたんだろう。

 

クワバラ、クワバラ。